修羅場にて ――医療現場と恋模様――

青色一号
私は執刀医をしている。
本日のオペは、腹部の異物除去。何度もこなした事のある、簡単な手術である。
 助手からメスを受け取り、事前につけてある印に沿って腹部を切り開く。そして、開けた穴から小型カメラを差し込んで、摘出すべき金属片を確認。それをピンセットでつまんで、傍らの助手が持つトレイにカランと置く。あとは縫合のみである。
 今回も順調で、無事に終了しそうで良かった。同じようなオペは何度も経験しているが、患者によって全てが微妙に異なる。したがって、厳密には一度として同じオペは無い。何よりも、どんな状況であれ、失敗が許されないというプレッシャーが大きい。どんなベテラン執刀医であれ、手術前は緊張するものであり、無事に終わった時の安堵はチームの中でも人一倍なのである。
 縫合用の針と糸に手をかけた瞬間、傍らの助手がいきなり声をあげた。
「先生、私たちのウェディングケーキ、入刀してくださってありがとうございます」
「は!?」
 何だそれは。どういうことだ。
 慌てて患者に掛けてある布を剥ぎ取ると、そこにあったのは、患者ではなく巨大な白いケーキであった。ご丁寧に、新郎と新婦を形づくった小さなマジパンの人形までもが、ちょこんとのっている。
 そして中央付近に、私が切った跡が残っている。
「先生、私と結婚してくれますよね。だって、ケーキ入刀までしてくださったんですもの」
「何を言っているんだ優子くん! こんなことで結婚することになってたまるか! 無効だ無効!」
「そんな、先生! 私、先生は私と結婚してくれるって、信じてたんですよ! 私、先生に遊ばれていただけだったんですか? そんな、私、本気だったのに」
 取り乱す助手にあっけにとられていると、私と優子くんのやり取りを黙って見ていた、もう一人の助手であるユミ子くんが、口を開いた。
「そのくらいにしなさいよ。先生、困っているじゃないの。往生際が悪いわよ。先生は、私と結婚するんだから。先生は私に婚約指輪を渡してくださったのよ」
「ユミ子くん!? 君まで、何を言っているんだ! 私はそんな物、君に渡した覚えはないぞ!」
「ほら、さっき、私が持っていたトレイに、置いてくださったじゃないですか」
 慌てて確認すると、確かにトレイの上の金属片は、輪の形をしている。さらによく見ると、それには私と彼女の名前が彫り込まれていた。
「ちょっとユミ子! あなた、私が用意したウェディングケーキに何かやっていると思ったら、とんだ裏切りじゃない! あなたは私と先生のこと、応援してくれていると思っていたのに!」
「甘いわね優子。あんたがつくったケーキのように甘いわ。私はあんたがこの病院に来る前から、先生と関係があったの。あんたは先生にとって、ただの都合のいい女だったのよ。新入りはすっこんでなさい。オペ中だって、私が何度甲斐甲斐しく先生の汗を拭いたと思っているの」
「おのれユミ子!」
「い、いや、それより、麻酔医はどうした! モニターに映っている脈拍と血圧は何だったんだ!」
 私がモニターを指さして叫ぶと、麻酔医の美香子くんが、涼しげな顔で登場した。
「先生、先生と私の赤ちゃんは、このとおり、脈拍も血圧も正常です。経過は良好で、何も問題ありません。私と先生の関係のように。先生、もちろん私と結婚してくれますよね」
「何だと!?」
「クソ! やられた!」
 叫ぶ私と、頭を抱えてのけぞる優子くん。
「ちょっと待ちなさいよ。あんたのお腹の赤ん坊が先生の子なんて証拠、無いじゃない。証拠を出しなさいよ! なんなら、今ここでDNA検査したっていいのよ」
「う!」
 ユミ子くんの鋭い糾弾に、美香子くんは声を詰まらせた。
「ほらみなさい。大体、本当に妊娠してるのかだって、怪しいじゃない。おおかた、自分の脈と血圧を映してただけなんじゃないの?」
「……、くっ、さすがに病院の連中は騙せないか。ええそうよ。でも、先生が私を一番愛しているのは本当なんだから」
「まだ言うかこの売女! ええい、このままじゃ埒があかないわ! こうなったら、先生に直接、この三人のうち誰を選ぶのか訊こうじゃない!」
「わかったわ」
「望むところよ!」

 六つの目が私を見つめる。
 誰しも、自分が選ばれるものだと信じて疑っていない。
 しかし、逆に問いたい。
 なぜ、一人に決めなければならないのだろうかと。
 彼女たちは私を愛していて、私も彼女たちを愛している。
 そこに、何の問題があるのだろうか。


 ――ああ、ここに告白しよう。私が執刀医になったのは、メスが大好きだからだということを。

2013.6.01
『紫』第七号