火星開拓記




人口爆発が進み、富山県民さえもカプセルホテルのような家に住まざる得ない状況に陥った二二世紀。キン消しバブルの崩壊を発端とする大不況「闇の帝王誕生日」の対策も兼ね国際連邦政府は火星移住計画「パルキスタ5」を発案した。命知らずの冒険者たちは一攫千金と広大な火星の土地を求め宇宙に飛び出していった。
 キー・タカユキもその一人。彼は一日の仕事を終え、自室で盆栽の手入れをしていた。
地球では今頃夏の真っ盛りだが、火星はいまだ気温が低く防護服なしでは外に出れない。故郷では夏となると夜でも蝉が眠れないほどの大合唱を繰り広げていたことを思い出すと基地の外はあまりに静かすぎた。
あとひと月で火星を出てから丸一年になる。キーには地球においてきた恋人がいた。寂しい思いをさせるから別れようという申し出を断って独り地球に残っている彼女からの連絡も最近はだんだんと減ってきていた。新しい男ができたのならそれはそれでいいことではないか、とキーは苦笑した。
 「キー君。ちょっといいかい?」
誰かが扉をノックした。ハンチョー・オダの声だ。
「はい、なんでしょう」
キーは剪定鋏をお道具箱の中に置いてオダを部屋のソファーに導いた。
「夜分遅くにすまん。残業が今終わったところなんだ。報告書。テラ山がお掃除ロボットをペットにしてた事件のせいで長引いちまった。あいつも、相当きてるね」
オダはゆっくりとソファーに腰かけると給仕ロボットにチャイを頼んだ。
「いやね、その話とも少し関連するんだが、君。あの話覚えてるか? リシロ」
「はて。当方、何のことだかさっぱりで」
キーが5秒の時間をじっくりかけてからとぼけたような声を出すと、オダは自らの頭をこつんと叩いた。
「やっぱりか。いやね、二三日前に君のマントンにメッセージを送ったんだがやっぱり見てなかったのか」
「すいません。チェック無精で。ところで、そのリシロってのはなんなんですか?」
「いやね、我々火星開拓者は家族を残しての孤独な出稼ぎだろ。テレビ電話で顔は見れるといっても、やっぱり、寂しいもんだ。な? そこで開発されたのがリシロ。こいつはいよいよ実用化間近のジェミニアンドロイドシステムを使って本人そっくりに作れるんだ」
「それでパートナによく似たロボットを作るってわけですね。そっくりというと、どのくらいのそっくりなんですかね?」
キーはホットポカリをずずっとすすった。
「そりゃあ、もう、頭のてっぺんからつま先の指先までそっくりだよ。なんでも肌の感触まで完全再現だそうだ」
「ふぉー、なるほど。それで、それをどうするんで? 恋人そっくりのロボットを見て心を慰めるってことですか?」
「いやいや、こいつはそんなちゃちな玩具じゃない。こいつのセンサーは高性能でほとんど人間並みなんだな。そのセンサーの情報を地球の彼女さんに送って、彼女さんからはロボットをコントロールする信号を送ってもらう。コントロールつってもゲームのコントローラで動かす訳じゃない。脳波で動かすんだ。ロボットを動かしている間彼女さんには眠ってもらって、センサーの情報と脳波を相互に超高速で送りあうことによって、ちょうど幽体離脱した魂をロボットの中に憑依するような形になる。それでだな、コミュニケーションをとるってわけだ」
「はいはいはい、なるほどなるほど。こりゃあ、ハイテクだ。でも、そんなにテクノな代物だと流石にお高いんでしょう?」
「いや、これがそんなにお高くもないんだな。な、なんと、600ディーヴォ。給料クォーター分だ!」
「えっつ、安。安過ぎる。なんでそんなに安いんですか」
「当局も孤独ってやつの危険性をだいぶ考えてるみたいだよ。それで、金を出してくれてるらしい。あんまり寂しくなり過ぎて男同士でラブラブになられても困るしな」
「お掃除ロボットよりはましですけどね」
二人はへへといやらしく笑った。
「話によると研究機関の実用化前試験の意味合いもあるらしい。いやね、お安く済めばそれに越したことはないんだけど。それでどうする? 買うかい?」
「もちろん。よろしくお願いします」
「分かった。今度一応契約書をもっていくから、さいんしてくれ」
オダは席を立つと卓球場の方へと去っていった。室内には明日への希望が漂っていた。

 けたたましいサイレンが鳴り響くなか、戦闘班は戦闘ロボットへの搭乗を済ませ現場へと赴いていた。
「作業班! 状況は?」
オダがテレビ電話で作業ハンチョーに尋ねる。
「藻の植え込み作業中に大型が3体、中型が5体、小型が13体出現。うち中型1体はうちのオーサカが撃破。残り計21体です。避難は既に済ませました」
「了解。また連絡します」
作業班との通話を切り、オダが呟くように言った。
「オーサカのやつまたやったのかよ。あいつ作業員だろ。もう、やめちまえばいいのに」
「21体。また多いっすね」
キーが答える。
「出現頻度は減ってますよ。全滅まではあと少し。今日もささっと済ましちゃいましょう」
「集団化が進んでんだよ。まあ、どっちにしろ根絶やしにすることには変わりないがな」
戦闘員達は今日も張り切っている。
「そのとおり! 俺たちは俺たちの仕事をする」
ハンチョーがそう叫ぶと前方に敵が現れた。タコ怪獣タコギラン。食用に持ち込まれたタコが逃げ出して野生化、宇宙線の影響で巨大化狂暴化した姿だ。地球より小さい重力を用いてほとんど泳ぐように移動する。
キーはギアをトップへ。愛機ニュートンのエンジンがうなりをあげる。
敵方もこちらに気づき、表皮を前から後ろに何度か光らせると全速力で飛んできた。
銃弾を撃ち込む。小型1体の頭部に命中するも、かわした大型が頭突きを仕掛ける。
「こい、接近戦だ!」
キーはよけつつ、アーム刀を射出。戦闘腕を一本切り取る。ひるんだ隙をみて、回し蹴りを目玉にお見舞いする。
 目玉は損壊。タコはたまらず墨を吐きだし逃げ出した。
「逃がすか」
タコ墨除去弾を放つまもなく、高速移動用機構をブースト。タコも少しは頭が回るようだが、逃げ込む場所ぐらいは端から見当がついている。洞窟状の岩に近づくとすぐさま中を発砲した。
「どいつもこいつも、やることは同じだな。俺もお前だったらそうしてたろうさ」
生死を確認させるため探査ロボットを放ったその瞬間、機体の動きをとられた。後部カメラで目の損傷を確認。さっきの個体だ。
「やられた」
完全に油断だ。体がギチギチと締め上げられていく。
 すぐさまサブアームを起動させ腕の切断を試みるが流石大型、筋肉が硬質でなかなか切らせてはくれない。タコが頭部を後ろに引いた。くちばしで機体を破壊する前の予備動作だ。これを食らえばひとたまりもない。サブアームの一つをくちばしの前に滑り込ませる。
 サブアームは破損、しかしくちばしも重大な損害を受けた。キーはすかさず後ろに重心を移動し、後転の要領でタコを押し潰した。腕の拘束が緩む。サブアームで片腕の自由を得ると後方に撃ち込んだ。さらに腕を切り込むと、タコも他の腕を外し距離をとる。
 キーがアーム刀で殴りこむ。タコも応戦。先端が硬化した戦闘腕三本が襲い掛かるが全ていなすし、右腕下に来たところでつかんだ。つかんだ腕は引き寄せ、逆手の刀を頭部に突き刺す。右、左、右と切りつける。タコは最後の力を振り絞り、逃げ出した。キーは追う。
「こいつはニュートン。タコ野郎に地球の重力を教えてやるって意味だ!」
振り上げた腕を叩きつけると、タコは地面で青色の血を吹き出し倒れた。

「ただいま」
キーは今日も一日の仕事を終え、自室に帰ってきた。
「お帰りなさい」
その声に答えるのはそっけないルームPCの声ではない。恋人シヅであった。より正確に言うならばシヅの姿を模したロボットの声というべきだろうがその違いは全く意味を持っていなかった。
「随分とお疲れみたいね」
「また出動だよ。今週で三度目。まー、疲れますわ」
キーはゆっくり隣に腰かけた。
「でも、楽しかったんでしょ?」
「まあ」
「それで、何体やったの?」
「元が大3、中5、小13で。小5体に中1。それで大が、2体」
「え、マジで? すげえ。大2体はすごい。え、キーはタコ釣り船長なの? タコなの?」
シヅが体を大きく揺らして驚いた。ソファーに揺れが伝わる。キーは地球でもたまにこうやってソファーが揺れていたことを思い出した。そう、この揺れがたまらなく幸せだった。「いやいや、全然ですよ。サブアー一本やっちゃったし」
「いいじゃん、一本ぐらい。あいつら腕何本あると思ってんのよ。呉れてやれ、くれてやれ」
「そう? んじゃあ、一本はくれてやりますよ。68四十八で48対1。圧勝よ」
「そうそう、その意気。腕一本でへこんでちゃ、火星開拓の大仕事は務まりませんからね」
シヅはキーの頭を少し手荒に叩いた。懐かしい。そう、この激しくも優しい感じ。まさしく彼女のものだ。
 キーとシヅはそれからずっとしゃべっていた。シヅは実家で飼っている犬に子供が産まれたこと、今年の夏がそんなに暑くないこと、電子レンジを新しく買い換えたこと、近くにできたうどん屋の天ぷらが非常においしいことを、キーは火星に湖ができたこと、最近見たSF映画が死ぬほどつまらなかったこと、テラ山が全然似合わない髭を伸ばし出したこと、そして、今年の年明けには帰ることを話した。おしゃべりはベットに入ってからも暫く続いた。

 キーはいよいよ地球に帰ることになった。三年ぶりの故郷だ。地球に到着する日はちょうどクリスマスで、あんまりに出来過ぎだと同僚たちは笑った。
 地球までは一週間かけて航行し、半年滞在したのち火星に帰る。大きな荷物は移動費が高くなるので皆置いていった。リシロもその一つであった。
 クリスマス一色の空港に降り立つと開拓者たちは大きな拍手で迎えられた。家族たちも交じっている。もちろんシヅもだ。
「お帰りなさい」
「ただいま」
二人は抱き合った。ほんの一週間前まで会っていたはずだが、やっぱり生身の本人に会うと思いが溢れ出てくるようだった。
青い大気、美しい緑、たくさんの人、そして家族。ああ、なんてすばらしいわが地球。
「ありがとう。今日までやってこれたのは君のおかげだよ」
「いいえ、私はなにもしてないわ」
二人はいつまでも抱き合っていた。
その日は友人や家族を招いてキーの帰還を祝うパーティーが開かれた。寮食では出ないような食事が食べられたことも喜びだったのだが、キーにとって嬉しかったはやはり久しぶりの面々と顔を合わせることだった。彼らとの握手は自分が故郷に帰ってきたのだという実感をより確固たるものにした。
 宴はそう長引きもせず幕を下ろした。客たちがキーとシヅとに気を使ったのだ。またそれぞれの家に遊びに行くことを約束して二人はシヅの家へと帰った。
 「キー、大丈夫?疲れてない?」
シヅは帰った途端着ていたものを脱ぎ散らかして布団の中にもぐりこんだ。
「大丈夫、全然。それにしても、あっちじゃよく一緒に寝てたけどこのベッドで寝るのは3年ぶりか」
キーもすぐに彼女のもとへ行ってキスをした。そして長いキスをしながら彼女を抱きしめたときに少し違和感を覚えた。少し腹に肉が付き過ぎではないか。一週間でここまで太るものだろうか。そう思ったキーだったが、リシロがオリジナルの脂肪のつき方を逐一再現しているわけではないことを思い出して、胸に手をやった。おかしい。今度は肉がつかなさ過ぎている。ここの肉って減ったりするのか? 異変を感じながらシヅのかおをよく見るとなんだかおかしいような気がする。鼻は低いようだし、目は小さく見える。それに肌までガサガサしているような気がした。
「どうしたの?」
どうやら違和感が顔に出てしまっていたようで、シヅは首をかしげている。キーはこれ以上悟られまいと彼女の体をぺたぺた触りはじめた。
なんだかよく分からないまま体を障りつくしてしまうとキーは体をゆっくりと動かしながら上を見上げた。
 ゆる過ぎる。天井に着いているボルトがほとんど外れかかっていて今にも落ちてきそうだった。ボルトはなぜか握りこぶしくらいの大きさがある。
 俺はどうすればいいんだ。しかし、なぜあんなところにボルトが? 訳が分からなくなって頭の中をトっ散らかし、とにかくベッドの上からいったん避難しようとしたところ。すとん。それは落ちてきて目の前が真っ暗になってしまった。

そんなところでキーは目を覚ました。
「どうしたんだい、キー? うなされてたじゃないか。出迎えに来たママに怒鳴られる夢でも見たのかい?」
テラ山が目覚めのキーを見ながらにやにやしている。
「うるせえ。それはお前の姉貴の話だろうが」
キーが睨むと
「お姉ちゃんは関係ないだろうぅ」
テラ山は別の部屋に逃げ込んでしまった。
 こんな夢を見てしまったのは最近のシヅの様子がおかしかったからだ。出航の数か月前、キーが仕事から帰ってくると、シヅのリシロはリビングにいなかった。いつもの場所で出迎えてくれないことを不振がっていると洗面所の方からすすり泣く声が聞こえてくる。
「大丈夫かい。どうしたんだ」
声をかけると
「大丈夫。大丈夫」
としきりに言ったかと思うと、リシロの充電場所に行って、用事があるからと、通信を切ってしまった。キーに用事がないのであれば、リシロに入る意味などないのに何のためにリシロに入っていたのか。そしてなぜ泣いていたのか。キーは気がかりで仕方なかった。
 それからも以前どおりリシロに入ってよく会いに来ていたのだが、どこか自分の気持ちの揺れを隠しているかの様だった。一刻も早くシヅの様子を確かめたかったのだが、また一方で会うのが怖かった。
 しかし、久しぶりの帰郷だ。楽しもう。
「あと20分ほどで大気圏に突入する。総員準備を始めてくれ」
ハンチョーからのアナウンスだ。キーは自分の部屋に戻っていった。

 大気圏を抜ける振動がやみ、機体は無事着陸した。船から降りると廊下の奥からは拍手の音が漏れ出てくる。動く歩道を走って抜けると拍手がわっと大きくなった。大はしゃぎの群集の中に一人俯いている影があった。シヅだ。シヅの周りにはキーの家族と友達、そしてシヅの家族。みんなおかしな空気をどうにか明るいものにしようと空元気を必死に振りまいていた。
 シヅが顔を恐る恐るあげキーの方を一瞥した。キーは何が起こったのかすぐに悟ってしまった。彼女の伸びた髪、特に前髪がそれを隠そうと努めていたのだがそこから垣間見るものだけで状況はよく分かった。彼女の顔が青黒く照れ上がっていたのだ。綺麗な青い目はこぶに押し潰され、笑窪のできるかわいらしい頬には地獄の鬼が居座っていた。キーはどうにか自分の不快感を顔に出さないように取り繕った。
「ただいま」
「何があったのかは聞かないで」
重たい唇を小さく動かして彼女はそう言った。
「わかったよ」
その日二人の会話はそれっきりだった。
 シヅは常々容姿だけが自分の価値だとは思っていなかったのだが、今の顔は自分の価値を十分損ない得るほど大きなものであると考えていた。実際、街を歩けば後ろ指を指された。職場の目も気になるので仕事も辞めてしまい、一日中家の中で過ごしてきた。キーが火星にいるときはリシロに入って恋人をねぎらうことが一番の慰めであったが、日に日に不安が募っていくのだった。キーが地球に帰ったときどうやって顔を合わせればいいのか彼女には分からなかった。自殺も考えた。恋人に自分を美しい姿のままで終わらせてほしいと思ったからだ。しかし、彼女は自分が恋人を支えねばならないという義務感とともに、キーの帰還によって状況が打開されることに賭けたのだ。
 一方のキーもシヅの顔、様子を見たときから彼女の気持ちはうかがい知れた。彼女が求めていたものは自分が現在の彼女を受け入れることだとすぐに分かった。それができなければシヅが壊れてしまうことも。しかし、キーはどうしても彼女の醜い顔を受け止めることができなかった。どうしてもその顔が以前自分が愛していた者の顔だとは信じられなかったのだ。良くも悪くもキーは六ヶ月後、火星に帰る。火星に帰れば美しいままのシヅが待ってくれている。この確信はキーの拒絶を促進させる一因となってしまったのだ。キーは壁についてあるスイッチを押すと一瞬で火星に移動しているという夢想にとらわれるようになった。
 いくらかの時間を経るうちにシヅもキーの気持ちに気付くようになってしまった。しかし、彼女は絶望しなかった。彼がどうにかして自分を受け入れようと努力してくれていることだけで彼からの愛を感じ取ることができたからであった。彼女もまた、キーが地球を離れる日を待ち望むようになった。
 地球に二人がいる間、お互いに会うことはなんとなく減っていった。代わりに文通が増えた。精神と精神を触れ合わせることによってお互いを隔てていたものは徐々に消え去っていった。
クリスマスから半年後、二人が空港であったのは前回の面会から三か月ぶりのことだった。周りの開拓者とその家族・友人との別れは晴れがましさと寂しさと不安でできた蜜柑の皮のような色をしていた。二人の別れもそれに似ていた。二人は笑顔で「僕たちはどこか不健康な関係だ」と言い合って、分かれた。
火星には楽園がある。明日への希望が。
「さよなら、また」
「また」

2013.